2014年3月18日~4月6日 カラパタール
トレッキング1日目 カトマンズ(1400m)=ルクラ(2840m)~4時間~バクディン(2610m) 泊
トレッキング2日目 バクディン~6時間~ナムチェ(3440m) 泊
カトマンズで一泊し、早朝ルクラに行く一番の飛行機に乗り込みました。小さいなあ・・・ 20人ぐらいしか乗れません。
飛び立つとすぐいヒマラヤの山並みが見えてきました。すごいなあ~ これが世界の屋根かあ~
40分ほどで、登山口であるルクラに着きました。ここの飛行場は世界一危険として紹介されています。滑走路が短い!
滑走路は結構な傾斜がつけてあります。滑走路の先は崖!飛べ!と思わず念じてしまいました。
現に年に何度かは落ちるとか~ およよ~ それにこの飛行機飛ばないときも多いらしく、私たちの後は来なかったとか。その後3日間も飛ばなくて、ヘリコプターで来た と言った日本人にも途中で会いましたからね。
このルクラは飛行機かヘリコプターで来る以外には交通手段はないそうです。なので、もちろんこれから先、自動車には会いません。
さて~ カトマンズは1400m。ルクラはすでに2840m。一気に高度を上げたので、体は敏感に反応し始めています。足が重い。それにバンコク・カトマンズと辛い物の食事なので、苦手な私の胃はすでにしくしく痛みます。これは最初から大変だ~
しかし、ヌプラという山が美しく見えていて、感動でもありました。
私たちの荷物は一人15kgまで運んでくれます。これは牛と水牛をかけあわせたゾッキョと言う牛さんが運びます。
こちらは私たちのキッチンフタッフ。一緒に歩くことはありませんが、先に行って昼食や夕食やお茶を用意してくれます。
私たち9人のためのスタッフは、驚くなかれ~
日本からのガイド1 現地ガイド4 キッチンフタッフ4 ゾッキョ使い1 ゾッキョ6頭
まこと殿さま行列のごときであります。でも、キナバルでも思ったけど、山が雇用を生み出しているのです。現金収入の少ない現地の方々にとって、とてもありがたい仕事のようで、青年たちが嫌な顔一つもせず、ニコニコと働くさまはまぶしいものがありました。
さあ、ここがエベレスト街道の起点です。エベレスト街道は今ではヒマラヤ登山の道として利用されていますが、以前はチベットとの交易の道であり、生活道路でもあります。門の上の女性はネパール女性でエベレストに初登頂した方で、下山時に遭難死したそうです。
こちら~ サクラソウ。タンポポみたいに普通にいっぱいあります。
お昼ご飯は焼いたジャガイモ。だけじゃないけどね。笑 一日3L飲むように言われているので、休憩の度にマグカップ2杯の紅茶をいただきます。と言うことは、ほとんどミルクのみ人形状態。
チベット仏教が熱心に信仰されているこの地では、こういうマニ石がたくさんあります。この石があるところは右回りに歩かなければなりません。
ココの村では授業中のようで、子どもがお勉強していました。
途中バグディン(2652m)のロッジで宿泊。ルクラより低い。でも暖房のない部屋は寒い寒い。ダウンの寝袋に入って着れるものを着て、寝ました。朝は窓ガラスがコチンコチンに凍っていました。
こちらのシャクナゲは真っ赤なものがい多いようです。
関門の様になっているこのばしょから先はサガルマータ国立公園となっており、通行証の検閲があります。
吊り橋もたくさんありますが、人だけではなくゾッキョやロバやヤクも通ります。そうなると、動物優先で人はのんびり通過を待つしかありません。
この高度感のある吊り橋は上の方を渡ります。下は今は使われてないとか。こんな吊り橋もいっぱいあるので、だんだん慣れて平気になってきました。
お~ なかなかの迫力ですよ~
吊り橋を渡ると、けっこうな登りが待ち構えていました。とちゅうから最初にエベレストが遠望できる場所がありましたが、今日は雲に隠れて見えず~ ナムチェに差し掛かると雪が降ってきました。
ところでナムチェ・バザールって聞いたことがありませんか?私もこの名前だけは知っていました。ここはヒマラヤの登山口として有名な場所で、シェルパ族の地であることで有名なようです。昔はチベットから商人が来て市が立っていたそうです。今は土曜日だったかに地元の人たちの朝市があるとか。
さて~、 ナムチェのロッジに入り凍える夜を過ごすことになりました。
次回はロッジ生活のこともちょっと書いてみようかな。
続く
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