2012年5月30日 多良宿~鹿島城下
多良宿~古賀宿~矢答峠~浜宿~鹿島城下
歩行距離24.5km 行動時間8時間20分 標高差+638m -609m
ぼん天棒さん hirokoパパさん hirokoさん ISさん マツさん ミーさん ミッセルさん そよかぜ
今回も引き続き多良海道を歩きます。地図で見ると、前回の湯江宿~多良宿は山の中の道でした。多良宿でいったん海側に出ますが、また山側へと道は続いています。確かに湯江宿・多良宿・浜宿と港ではあったようですが、今まで以上に緑濃い山間部を歩くことが多いこの道に、多良海道と銘打ったわけがイマイチピンとこないのですねえ・・・ ネーミングには確かにロマンの響きはありますけどねえ。
さて~ みなさんと多良駅で合流して前回たどった道の続きを歩きます。多良宿と言いますが、古賀宿と多良宿があります。古くは古賀宿が栄えていましたが、度々の洪水により多良宿へと移ったようです。前回多良宿の方も散歩しましたので、続きは古賀宿を通って歩きます。
ひなびたのんびりとした雰囲気を漂わせている古賀宿を通り、川上神社へ。鳥居が残る神社跡。狛ちゃんもいない。寂しい・・・

多良川の上流は、、もちろん多良山系で~す。

さて、街道地図をよく見ると北方面に登っています・・・ が・・・ 道がないではありませんか。いえ、よく見ると畑道はあるのですが、その前に人家が・・・ すみませ~ん 街道みたいなので通らせていただけますか~? と厚かましく庭先を通過。お家の方も「どうも街道らしか~」だそうです。笑 忠実に歩こうとするたびにこのようなことが起こりますです。やれやれ・・・
そして道は続く。所々に現れる自然の道です。

さようなら~ 多良宿(下流側)・古賀宿(上流側)。

途中にこんな池がありました。木へんに虫・・・ なんて読むんだろう。

スイレンのような、ヒツジグサのような葉っぱがあります。

特に大きくもないのですが、大岩があります。目印だったんでしょうか。

こちらは一里塚跡。あまり見どころもないのでここでは貴重。笑

道はそれらしく続いています。

時にはこんな所に突入。

多良海道はこういう道がたくさん残っています。

ここが出てきたところですが、標識がなかったら分からないでしょうねえ。

矢答峠には水置場というところがあり、今も水が出ています。貴重な水場だったことでしょう。

後ろには道標がありますが、ほとんど読めません。「太良嶽矢答路」「これより太良だけ道 貞享元年金屋町開村」と書いてあるそうです。

矢答の部落には何軒か家があります。旅人も山中で人家に出会うとホッとしたことでしょう。街道歩きを始めたころには梅の花が咲いていました。今は初夏の花が家々を彩っています。

花たちに励まされて歩いたことも度々です。さあ、がんばろう!

なだらかに街道は続きます。昔はきれいな松並木だったそうです。しかし、矢答峠からは鹿島市になるのですが、案内標識は皆無。街道マップにはいくつか見どころとなるような場所があるのですが・・・ がんばれ鹿島市。
とちゅうから浄土山が見えてきました。こちらから見るとよくわかりますねえ~ 真ん中のポコンとした岩がチ〇〇岩。口にしてはいけない名前です。笑

きれいな名前の花取バス停。一日3本運行です。

花取堤でのんびり昼食です。

鹿島市の方にどんどん下っていきます。途中はきれいな麦畑。麦秋ですねえ。

クサフジもこれだけ咲くといいねえ。

そして浜宿に到着。浜宿は大きく二つに分かれています。

最初に通る所は地図では右下の庄金と言う場所です。

ここはどちらかと言うと下町の感じがします。藁ぶき屋根の家屋がたくさん保存してあります。

修理中。土壁や藁屋根の保存はなかなか大変だと思います。

街の雰囲気を壊さないようにしてありますね。

ここは街道と港がぶつかった所で賑わった場所のようです。

今ではカモさんがのんびりと散歩中。

お次は浜中地区へ~ ここでは何故か男性軍の勢いが違います。

そうなのです!ここは酒蔵通り~ さっそくお店の中へ。試飲もたっぷりありますよ~ 断誘惑!

で、甘酒アイスで我慢我慢。焼酎ケーキもあるけどね。

街並みは素敵ですよ。

昔にタイムスリップしそうです。

手を入れて保存しています。

こちらのお店では素晴らしい技術の作品が見られます。男性は見とれておりました~

一歩入った所にある武家屋敷。

部屋の作りも凛としていずまいををただしたくなります。

街並みは続く~

浜宿を出ると、鹿島城下に入っていきます。鹿島は祐徳神社が有名なのですが、それらしく欄干も赤い。

列車の時間まで鹿島城内を散策しました。こちらは大手門。城内には学校がいっぱいありましたよ。広かったんですねえ。

さて、地図で見るとなんで山手の方に街道はあるんだろう、海側の方が近いのに・・・ と素朴な疑問がわきました。資料を見ると、海側にも七浦道という街道があったようですが、山が海までせまり道が狭く、起伏が激しい難路だったそうです。やっぱりそれなりの理由はあったんですね。
今回のルート

長崎街道では

次回は6月6日水曜日 鹿島駅~肥前山口駅 を歩きます。とりあえず多良海道は歩きは終了かな。