2012年2月16日 岩松駅~彼杵駅

長崎街道を歩く③ 迷い道フラフラ でもがんばりました
岩松駅~大村宿~松原宿~千綿宿~彼杵宿~彼杵駅
歩行距離31km 行動時間8時間30分
ISさん そよかぜ

本来は昨日の予定だったのですが、あいにくの雨・・・ で、本日の街道歩きなりました。昔の旅人は、傘もささず、ゴアテックの雨具もなく、わら草履で雪でも雨でも日照りでも歩いて行ったかと思うと頭がさがります。しかし、軟弱現代人は即変更~

岩松駅まで列車で移動しますが思いのほか学生たちの利用が多く、新たな発見でもありました。さて~ 本日はISさんと二人で歩きます。どこまで歩けるかなあ~

先日街道からはずれた所まで戻って開始!さっそく何やら謂れのあるような祠が・・・
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なんか書いているけど、読めない・・・
水田に水が張ってあればきれいだろうなあ~ と思いながら歩きました。
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途中あちこち見ながら歩き野田神社までやってきました。なんか謂れのありそうな石がありますが、説明はなし。
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さて、ガイド本からコピーした地図を見ると、街道は野田神社の前から一直線に延びています。ということはこのりっぱな道路をしばらく歩けばいいんだね。
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と思い込んだのが間違いの元。歩きながら へ~ こんな所にあったんだあなあ~ この学校 とかなんとか感慨にふけりつつかなりの距離を歩きましたが、なんか様子が変・・・ それに地名もおかしい・・・ あるべきはずの史跡がない・・・ とにかく引返すことにしました。そして野田神社のそばまで帰ってきてわかりましたねえ・・・ 進行方向の車道右に野田神社はあるのですが、車道左の下に街道の標識が・・・
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往復3km以上はロスですが、お蔭で出会えた物もあるわけで・・・ これは松林飯山と言う方のお墓。神童と呼ばれ、大村藩を勤皇へ導いた立役者。でも29歳で刺客の刃に倒れたそうです。こんな方もいたんだねえ・・・
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さあて~ 気を取り直して歩こう~ お次に出てきたのは長与俊達のお墓。この方は江戸時代に天然痘の予防接種に成功した人だそうです。これまた、こんな人もいたんだねえ・・・
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このあたりは武家のお墓が多いのか、屋根のついた立派なお墓がたくさんあります。このお墓なんかすごいですよ~ なんか説明もあったけど、忘れました~ 笑
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そして更に歩くと春日神社や円融寺があります。
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春日神社に行き、そこから横着して園融寺に抜けて行くと白い玉砂利の敷いたきれいな道が・・・ しかし迷惑だよねえ、玉砂利なんか敷かんでもよかとに 歩きにっか。なんて思いながら上から下へ歩きました。が、ゲートボウルをしている方々がじっとこちらを見ています。??? もしかして~ あれ~これは枯山水の庭?
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でしたねえ。間違いなく。この庭の水に見立てた玉砂利の上を歩いてました。失礼しました。
さて、このお寺には大村藩三十七士の碑がずらっと並んでします。
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全然知りませんでしたが、幕末に活躍した方々だったんですねえ。
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さてさて、ようやく大村宿です。あっという間に着くだろうと思っていましたが道迷いがねえ・・・ ここまでがえらく遠くに感じました。大村宿の本陣跡はアーケードの中の浜屋というデパートのあるところです。
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ポストもなんかいい感じ。
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街道らしく、毛氈が敷いてあるので、そこでちょっとおやつタイム。
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さあさあ~ 先は長いぞ~ 出発出発。この道標には 是より左そのぎ道 と書かれています。
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とちゅう 千葉朴枕 という地域の開発に力を注いだ方の屋敷跡を通りますが、なんとISさんと関係の深い方みたいで!そのお血筋かも。とびっくりの発見もありました。
この近くにはキリシタンの首塚・胴塚があります。バラバラに埋めないと妖術を使って甦るということで、かなり離れた場所に埋められたそうです。こちらは首塚。
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長崎街道を歩くと、アチコチにキリシタン弾圧の歴史を見ることができます。それと同時にキリシタンがお寺を焼き払ったという歴史も。哀しい史実です。
昊天宮や長崎惣兵衛(長崎甚左衛門の兄弟)のお墓などを見て、進むと郡川に出ます。郡川の渡しと言われ、昔は飛び石があったそうですが・・・ これは渡れませんねえ。今では。
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松原宿に入ると、それらしいたたずまいが残っています。こちらは庄屋跡。
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伊藤家は源頼朝の家来の家来の家柄で、隣の八幡様は鎌倉の鶴岡八幡を分霊してもっていたとか。
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旅籠も残っています。
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大きな石を立てた相撲取りの墓。立派ですねえ。
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そして国道を走るときにいつも気になっていた小さな島。遠くから見るだけでしたが、お料理屋さんが」あったり海水浴場があったりで、気になっていました。今は二つともないような。こんもりした中には財弁天が祀ってありました。またこのあたりは松林が美しかったそうですが、戦時中に燃料として切られてしまったとか。
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またしばらく行くと さやのごぜん が祀られて居るところがあります。2回めの街道歩きの時もありましたが、道祖神のようなもので邪気を追い払うものだとか。でも道祖神のように可愛い感じではありませんでしたが。
さて、ここからしばらくは道が不鮮明になっていて、街道の案内板とガイドブックは違っているようで、難しいなあと思いました。
途中に江口三郎入道塚がありました。だあれこの人?と言うのが正直な感想です。
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でも立札を見ると・・・ は~ そうですか~ 鎌倉時代・・・ そういう歴史があったんですねえ。
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さらに串島城跡の案内に惹かれて行ってみましたが、茶畑が広がるばかりでした。
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千綿駅を過ぎるころ、呼び止めるおじいちゃんが居ました。本当に街道はこちらだったと山手の方を指さしましたが、今は通行することはできないようです。更に昔ままの龍馬も渡ったという橋があると案内してくださいました。この橋は沈まないように松の大木を土台にしてありました。
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千部塔と言うのももアチコチにありますが、キリシタン弾圧が厳しくなった頃、自分たちは仏教徒だという証のために立てたそうです。
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龍頭泉道標石や今は渡れない馬加瀬淵標石の場所を過ぎ、千綿宿に入りました。ここもそれらしい建物があり、雰囲気がありました。
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さあいよいよ彼杵川を渡ります。川を見ると、ウナギ塚が・・・ 居るのかなあ?今年は高いって言っていたけど。
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ちょっと街道から外れますが、26聖人乗船の地にも行ってみました。キリシタンのため京都でとらえられた26人は冬の寒い道をはだしでここまで歩いてきて、彼杵から時津まで船に乗り、殉教の地長崎へ向かったのでした。
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街道に戻り進むと長崎街道は鋭角に曲がります。ここが平戸街道との分岐で、裏側には平戸街道起点と書いてあります。
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彼杵の港は当時の雰囲気を残しています。交易で大いに栄えた港だったそうです。
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ここ彼杵神社は本陣跡です。
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本日のゴールは彼杵駅。着くとすぐに列車が来て飛び乗ることになりました。
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いやあ~ 今日はよく歩きました。本日のルート。
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でも、小倉まではまだ遠いはるかな旅です。
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さあ、次回はどこまで歩けるかな~



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by yamanosoyokaze | 2012-02-18 18:05 | 長崎街道